目黒歴88年、戦前・戦中・戦後の目黒を見てきた大先輩に聞く「あの頃の目黒、これからの目黒」【インタビューVol.01】

目黒駅周辺エリアは大きな商業オフィスが立ち並び、平日昼には多くのオフィスワーカーで権之助商店街や近隣飲食店が賑わっています。
かと思えば、一つ路地を入ると静かな住宅街になります。

長年住み続けている住民も多いが、最近はマンションがあちこちに建ち、新たに越してきた住民が混ざり合うようになり、新たな人の流れができているまち、目黒。

そんな目黒で暮らす人にお話を伺いしていきます。
まずお1人目は、目黒在住歴88年の大先輩、Aさん(仮名)です。

住民を見守り続けた泰山木

先日(2024年6月末)、1本の街路樹が伐採されました。

目黒駅西口側に位置するドレスメーカー通り(通称:ドレメ通り)の入り口すぐのところに植えてある3本の大きな木をご存知でしょうか。
街路樹としては珍しい大きな泰山木

3本の中の真ん中の1本が、倒木の危険性があるということで伐採されました。
必要な処置とはいえ、ずっと見守ってくれていた木がなくなるのは、なんだか淋しいものがあります。

ドレメ通りエリアに昔から住まわれているAさん(仮名)さん(90歳代)にお話を伺う機会がありました。

ドレメ通り入り口に塀で囲まれたお屋敷があり、泰山木は元々そのお宅の庭木だったそうです。
お屋敷がなくなる際に、伐採ではなく街路樹として形を整えて移植することになり、その木が今回伐採された真ん中の1本です。残りの2本は移植の際に一緒に植樹された若い木だそうです。

住民有志でお別れ撮影の様子(2024/06/26)

塀に囲まれた場所

Aさんは昭和8年生まれ、現在91歳(2024年8月現在)。3歳の頃からこのエリアに住まわれています。

戦前・戦中・戦後と、まちの移り変わりをずっとみてきて、まちがとても良くなっていると感じておられるそう。

Aさん(仮名)

まちの変容の第一段階が『お屋敷時代』だとしたら、第二段階が『戦後復興時代』、第三段階が『マンション時代』だと思っています。このあと、このまちはどう変わっていくんだろうね。

目黒駅前新聞

『お屋敷時代』! 今の街並みからは考えられません!

Aさん(仮名)

自分が子供の頃は、ドレメ通りは右も左も塀でぐるりと囲われた大きなお屋敷が続いていて、人通りもなく、日が沈んでから通りを歩くのはとても怖かったのを覚えている。一つ一つの区画が大きいから、住んでいる人も少ないし、今みたいに街灯も無いからね。

目黒駅前新聞

確かにそうですね! 緑も多く、閉塞感もないので、夜遅くなっても怖いと感じたことはないかも知れません。

Aさん(仮名)

今は塀も無くなり、学生さんやオフィスワーカーさんの往来がたくさんあって、この通りを怖いと感じる人は少ないんじゃないかな。

命をつなぐ井戸の存在

Aさん(仮名)

それとね、各敷地内に井戸があったよ。僕の家にはなかったけど、井戸を持っているお宅が多かった。高台にあるから、その分とっても深くてね。石を井戸の中に落としても、ポチャンって全然聞こえてこないんだよ。

目黒駅前新聞

それは落ちたら大変ですね…。

Aさん(仮名)

落ちたら上がって来れないね。(笑)
でもね、戦後は井戸のお陰でだいぶ助かりました。生活用水としての水を確保できるということはとても大切なことなんです。

Aさんがお住まいの町会夕陽会(ドレメ通りを含む町会)では、現在町会内に残っている井戸2ヶ所から水を汲み、その井戸水を使って子ども会の「打ち水イベント」をしています。
子ども会のイベントを通して、子ども達が自分で井戸から水を汲み取る経験をし、井戸の存在と場所を知ることで、災害などが起きた際に活用できるようになってもらいたいとの思いがあるそうです。

「打ち水イベント」で、地域の子どもと大人が一緒に井戸の水を汲む様子(写真提供:夕陽会子ども会)

現在夕陽会では、共同井戸を増やせないかなど様々な検討活動をしています。

災害時に水道が止まってしまった際、備蓄水や配給以外に生活用水として使える水が確保できるまちに住んでいるということは、とても心強いですね。

他にもたくさんのお話をAさんからお伺いしているので、数回に分けて投稿できればと思っています。

次回をお楽しみに。

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この記事を書いた人

新米ライター。着付けサロン「てくてくkimono道」やってます。